私がVivaldiアカウントを取得してはや6年になります。
もともと、私はOperaが大好きでした。初めてOperaを使った時のあの滑らかさは感激ものでした。マウスジェスチャーもすぐに気に入り、無意味にマウスジェスチャーを入力したものでした。
当時のOperaはマウスジェスチャーを入力して実行せずに停止すると「今どんなジェスチャーが入力されているか」画面上に大きく表示され、それがかっこよかったのです。
OperaはOpera miniというモバイル向けブラウザも開発しており、それが日本はもちろん世界中の様々なモバイル機器に搭載されていました。
今でもOperaのことを考えると思い出す事があります。2010年12月にチュニジアで起きた「ジャスミン革命」とそれをきっかけとし中東と北アフリカに広まった「アラブの春」です。
このアラブの春ではFacebookなどのSNSを通じてデモ情報のやり取りが行われていました。この横の繋がりは従来の民衆によるデモとは違い、分かりやすい「首謀者」が存在しませんでした。中東の若者たちはSNSを通じ、横に横にと連体を繋げていったのです。
当時の中東には自宅に固定回線を引いてパソコンを持つ層は多くありませんでしたが、携帯電話は既に広く普及していました。
決してスペックの高くない当時の携帯電話にもOpera miniはプリインストールされており、Opera miniのサーバーはデスクトップ向けの重いSNSページを軽くなるよう変換して中東でデモに参加する若者たちへ届けました。
当時、Opera社員の方がインタビュー上で「自分たちが間接的にではあるが中東のデモを支援している」ことを誇らしく語っていて、それを読んで私はしみじみと「Opera好きだなぁ」と思ったものです。
ところが、Operaは変わってしまいました。独自のレンダリングエンジンPrestoの開発を停止し、GoogleとAppleによるWebKitの採用を決定、結果明らかに今までとは異なる使い勝手になってしまいました。
2010年にヨン・フォン・テッツナーが追い出された時から多くの人が嫌な予感を感じていました。でも私はOperaを(というかPrestoを)使い続けました。だんだんと不具合が増えてきましたが、Operaは私の中で良いイメージであり続けました。
2014年にOperaのコミュニティ「My Opera」が終了した時も私は「Operaはお金がなくて苦しいのかな?」と心配したものです。そして難民となったOperaユーザー向けにヨン・フォン・テッツナーがVivaldiというコミュニティを作った事を知り、私はここに移住しました。
この頃、私はUbuntuを使っていて、PrestoのOperaが使えないため仕方なくChromiumを使い始めました。そしてそのままChromiumがメインブラウザとなります。
パソコンのメインブラウザがChromiumになってもスマホのブラウザはOpera Mobile Clasicを使い続けていました。まだOperaが「低スペック機でも軽い」ブラウザ作りにこだわっていたPresto採用時代のOperaです。やはりOperaが好きでした。
完全にその熱が冷めたのが2016年にOperaが中国企業に買収された時です。私は人種差別主義者ではありません。私達は同じアジア人です。でも、果たして中国に買われたOperaと「アラブの春」に好意的だった頃のOperaは本当に「同じOpera」なのでしょうか?
Vivaldiがブラウザを開発していると発表したときはとても嬉しかったです。ですが所詮はBlink採用ブラウザであり、だったらChrome使うよねと思いずっと手を出しませんでした。
最近初めてVivaldiを使い、なんとなくマウスジェスチャーを実行しました。すると私の意図通りに画面は更新し、意図通りにタブが閉じました。私はまだマウスジェスチャーを覚えていたのです。
こうして私はVivaldiを使い始めましたが、ブラウザの擬人化である「Vivaldiたん」が不在なのはとても残念に思っています。
私はブラウザの擬人化で「おぺらたん」が一番最高だと今も思っています。
「ウィキペたん」はkiwixにもEPIWING化オフラインWikipediaファイルにも載っていませんが、「おぺらたん」は存在します。
いま世界は「Vivaldiたん」の顕現を待ち望んでいます。